「自助、共助、公助」を前政権の菅首相が唱えた。一見、正しいようにも聞こえるが、
もし「自助→共助→公助」という具合に言葉の間に矢印を入れるとどうだろうか?
自分の経済的な面は誰しも自分自身で守ろうと考えているだろう。それができる人なら
ば、そういう助けはいらない。しかし、前首相は経済的に弱い状況にある人に向かって言
ったはずだ。自助では不安を抱えている方々に対して発した言葉だと感じる。
さて、自助が困難な人は、次に共助を求めなければいけないと説いている。菅さんが「
金の卵」と呼ばれ集団就職で上京された時代ならば、いざ知らず、日本社会が1990年代と
いう長い低迷のトンネルを経た今、この世知辛い状況下の昨今、共助などはどこにあるの
か。
一時的な政権交代は何度かあったものの、首相のバックボーンである自民党が長らく政
権を担ってきた。そして、政権維持のために数々の「公助」を国民に約束してきたのだ。
しかし、声高らかに「自助、共助、公助」などと言われると何となく寒く感じる。
確かに、わが国の国家財政は芳しいとはいえない。そのため、公が取り得る選択肢も限
られたものとなっていよう。ただ、人口減少や少子高齢化などは日本経済絶頂期の1980年
代からわかっていたことだ。
その後の30年を超える低迷期を経た今、経済的に厳しい状況に置かれた国民に対し、公
助に頼る前に、自助、共助だよと言われても、それでは、この30年間、政治家や官僚は何
の対価として禄を食んでいたのか。一人負けとなった日本でそんなことを考えてしまう。

代表取締役CEO山﨑泰明
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